自由の重さが伝わる映画を見ました

先日、映画「ショーシャンクの空に」(1994年アメリカ公開) が NHK・BSで放送されていて、何年ぶりかでじっくり見ました。

主人公はアンディーという銀行家。
無実の罪で投獄された彼は、コツコツと、20年かけてトンネルを掘って脱獄します。

もう十年以上前、職場でツライ目にあっていたとき、とても感情移入してみていたな~と懐かしかったです。

いま改めて映画を見てみると、いくらなんでも職場を「ショーシャンク刑務所のようだ!」とは…失礼ですね…反省しきりです (^^;

さてこの映画、見どころは人それぞれですが、私の印象に残ったのは、人の心を絡めとる「刑務所病」ともいうべきものの怖さでした。


施設慣れした生活の有毒な平和

映画の原作は、スティーヴン・キング。
ホラー作家ならではのジワジワ感で、刑務所という施設の現状慣れの怖さを描きます。

収監されたアンディーが、唯一心を通わせた黒人のレッド、彼はその怖さをこう語ります。

最初は狭い四方の壁に
がまんができなかったのが、

やがて
それと折り合いを
つけるようになり、

つぎにはそれを
受けいれるようになる…


レッドはアンディー脱獄後まもなく、仮釈放となります。
正当な出所でしたが、38年間を刑務所で過ごした後の自由は、レッドにとって重いものでした。

刑務所でなら…

いつ食事するか、
いつ手紙を
書けばいいか、
いつタバコを
すえばいいかも、

向こうで教えてくれる。


彼は勝手知ったる場所を懐かしく思います。

なんでもいい、
あの静かな場所、
一日の間に起こることが

前もって

ぜんぶわかってる
あの場所へ帰れるなら。

Katsuta
ここならたくさんの仲間もいるし…

新しい世界に入っていく勇気

人間はときに自分の居場所に「慣れて適応」していく能力を発揮します。

生き延びるため
です。

しかしそこにエネルギーと時間をかけすぎると、過剰適応で変化を恐れるようになり、動けなくなってしまいます。

アンディーから「自由になったら一緒にホテル経営を…」と誘われたレッドはしり込みしました。

おれはとてもシャバでは
やっていけないよ、アンディー。
わかってるんだ。


新しい世界で、それまでの自分は通用しないという不安から、試すことなく自分の能力に制限をかけてしまっています。

雲間から光
気もちが陰ってしまっていても…


婚活をする人にアンディーからのメッセージ

そしてこれって実は、婚活を躊躇する人にもあてはまる、心の動きなんです。

脱獄から婚活へと、たとえが飛躍してしまってすみません (^^;

でも慣れ親しんだ世界から一歩出る勇気ということでは、一緒です。有能な銀行マンだったアンディーは、卑下するレッドに「自分を見くびりすぎだ」と応えます。

きみは独学の男、独立独行の男だ。
ただものじゃない、とわたしは思う。


出所後、ひとりぼっちとなって、一時自殺まで考えたレッドは、さらなるアンディーからの導きがあったことで、未来への希望をつなぎました。

いつも、
とどのつまりは
ふたつの選択肢のうちの
どちらかになる。

生きることに
とりかかるか、

死ぬことに
とりかかるか。


彼の待つというメキシコへ出発する日、レッドは手記にこう綴ります。

あんまり
興奮しているおかげで、
手がふるえて、
鉛筆が満足に握れない。


ポジティブな「怖さ」をレッドは知ります。

これは
自由人だけが
感じられる
興奮だと思う。


この興奮は、
先の不確実な
長旅に出発する


自由人にしか
わからない。

海
ひとつの世界から、また別の世界へと、世界はどこまでも広がります。

自分のエネルギーを、現状慣れではなくて、変化慣れに使っていくこと。そのためには、たくさんの人との、良い関わりとご縁が必要です。

そういう人たちが希望をもたらしてくれることで、自分が望む未来が見えてきます。

コツコツと20年間、脱出口を掘り続けたアンディーは、レッドに宛てた手紙にこう書きました。

希望はいいものだ、
たぶんなによりも
いいものだ。


そして、
いいものは
けっして死なない。

※文章の引用は、スティーヴン・キング著 朝倉久志訳『ゴールデンボーイ 恐怖の四季春夏編』新潮文庫 1988年 所収の「刑務所のリタ・ヘイワース」より

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